「チームだから、できるんです」副代表 田中裕子さん インタビュー
2014/04/25 Fri. 02:16 [edit]

田中裕子。早稲田大学気仙沼チームの副代表である。大学内でのチームの立ち位置が大きく変化した2014年度、我々の予想を遥かに越えるスピードで、彼女たちは新しい活動を次々と実行に移している。震災から3年、発足当初から加速し続けるチームの今を力強く牽引するチームの大黒柱、それが田中裕子だ。
先進理工学部生命医科学科。専門性の高い研究にも意欲を見せる。
どうしてそこまで頑張れるのか。
「特別『頑張っている』っていうおもいも、ないけれど」
田中裕子はいつもの屈託のない笑顔で答えてみせる。
今回のインタビューでは、彼女の幼少期にまで話がさかのぼった。時折恥ずかしそうに笑いながら話すその姿は、どこにでもいる女子大生の姿と変わらない。

気仙沼チームの中で一番チームを愛している。
気仙沼チームで何を担当なさっているか、あるいは最近どんなことをしているかを、軽く、ご自分の口からお願いします。
「はい。えー私が気仙沼チームに入ったのは、1年半前くらいなんですけど…ちょうど入ってから数か月後くらいに一つの企画を担当させていただいて、それが他の大学の人と一緒に交流会を開こう、みたいなものだったんですよ。で、そういうところから、いろんな大学の人とか、早稲田の他の団体の人とか、大勢の人と一緒に繋がりを活かして、イベントだったり東北への支援だったりっていうことを、気仙沼チームでは担当していきました。で、まあ今一応気仙沼チームでは副代表をさせて頂いていて、まあ副代表とは言ってもみんなで一緒に、っていうような感じで、楽しくやらせてもらっています。だから、気仙沼チームの中で一番チームを愛しているっていう自信がありますね~!」
具体的に、副代表としてどういった役割を担っているんですか?
「今の代表、渡辺遥が、チームのメンバーにすごく気を遣える代表なんです。一人ひとりのことすごくよく見ていて、何かあるとすぐにメッセージを送るだとか、気を遣って「大丈夫?」って声掛けがすごくできる。それに対して、私はそういうこまこましたことが意外とできなくて、でも大勢の人とか舞台に立つこととか、周りのひとと一緒にどんってやるのが好きなので、どっちかというと私は外の顔?で、代表の方がチームの中に気を配る、それでまとめる、というふうに役割分担をしているつもりだし、それは二人でも話してきたことですね」
メンバーとして気仙沼チームに加入した当初はどうでしたか?
「チームに入る前にも気仙沼には2回3回行って、その中で気仙沼の方に言われた言葉っていうのがいくつか心に残ったんですよ。その中で自分だったらこんなことが出来るんじゃないかなってすごく色々と考えて、企画書を作ってたり提出したりとかもしてて、で、チームに入ったので、これで、東北のために自分のやりたいことが出来るんじゃないかなって。でも、私が思っていたこれ出来る!って思い描いていたことって、本当にボランティア初心者の考えであって、まあそれが悪いとも思わないけど、他の周りを見ればもっと前からやっていて、すごくいろいろ考えている人がいて、そういうの見ているうちに、東北のためはもちろん、もっとシンプルに、あの人みたいなことが出来たらな~とか、この仲間と出来たらな~っていうのに変わっていったのかなと思います」
ノーベル賞とった人のこと研究しろ!とか言われたりとかも。
ボランティア以外で今頑張っていることってありますか。
「はは(笑)もう私の頭の7割くらいは気仙沼・ボランティア…」
残りの3割はなんですか(笑)
「ははは(笑) あの勉強は、生命医科学科っていうところで、医学の研究していますね。医者にはなれないけど、医学の研究をするところなので、医学部に受験で失敗して落ちてしまった人とかも多いところで、だから、人工赤血球とか脳のこととか、がん遺伝子とか、あとあれですね、今話題のSTAP細胞も、先輩にあたるので、教授たちは真剣に「ノーベル賞」って言いながら頑張ってるし、私たちもノーベル賞のことレポート書けとか、ノーベル賞とった人のこと研究しろ!とか言われたりとかもしてるので。医学部じゃないけれど、理工学部だから出来ることってあるし、医療機器を作っている教授もいれば、それこそ1年生の時は物理とかもしっかり勉強してきたから。でも今はもっぱら細胞、とかですよ、遺伝子いじったりとか」
高校生の時からこういったことを勉強したかったのですか。
「なんだろうな。多分小さい時からこう、家族と一緒に山登りとか川遊びとか、そういう自然を楽しませてもらって、そういうことが原因なのかなって思うのだけど、自然とか野生動物とかにすごく興味があって、野生動物の保護がしたいって思った時もあったし、獣医もいいなとか、あとは環境保全みたいなこともずっと興味があったので、農学部かなとか理学部かなとか思いながら勉強してて…。だから今でも何がしたい?って聞かれると、ジャングルにこう3ヶ月4か月テントとかで過ごしてチンパンジーの研究とか、ウミガメの調査とかしたいなって思いはあるのだけど、その中で2年早稲田で勉強してくる中で、今勉強している分野も将来が本当にあるし、人のためになるっていうと聞こえがいいけど、まあいいこと勉強させてもらっているな、って思います。特に最近は授業がとても面白くて…。がん遺伝子の研究している先生がいて、それが面白そうだなーとか」

「でもボランティアをしているうちに、社会学・文系的なものにもこう興味がわいてきて、例えばボランティアと自分の医学・生命医科だったら、じゃあ被災地の病院とかってどうなってるの?っていうのに興味を持っても良いんじゃない?って言われたこともあるし、もともと興味があった生態とか環境とかっていうのともリンクが出来るはずだから、自分なりにこう開拓していけばいいのかなって思っているんですけどね」
これまではこういう勉強とボランティア、わけて捉えていた?
「そうですね。本当に全然違うから…こう、白衣着るのももちろんだし、エバポレーターみたいな。小保方さんの映像にあったような、黄色く光った!緑になった!みたいなのもやるし!うおー!みたいな! あー私、小保方さんから話を聞いたんですよ、たとえ今回の件がやはり偶然とかだったとしても、必死に研究に取り組んでいる姿に感銘を受けたんですよ。ちょうどそれが2年生の期末テストの直後で、私はこうやって勉強してきて…っていう話を聞いて。その研究自体もすごいけどそれまでの勉強もすごいんですよ。大学院生の時から自分でハーバードに行って先生のお願いしていろいろやってもらってて、そういう一つのものに向かって一生懸命頑張っている姿って、少なくとも私は、あーすごいな。と思っているから、そういう意味で、そういう先輩に巡り合えたっていうのは良かったなと思います」
やっぱりチームだからじゃないかなって思うんです
そういう専門性の高い学部学科の中で、ボランティアしている田中裕子さんって?
「そもそも周りにはサークルとかに入っていない人も多いんですよ。私はそれじゃやっぱつまらないなって思うし、自分が東北と関われて良かったなって思うし、自分で自信を持って「ボランティアやってごらん!」って言えるから、よく言いますね、周りにも。別に無理矢理でもないけど、そういうものにも興味持ってみたら?とか」
それは研究と課外活動の両立が難しいということだと思いますが、なんで田中裕子さんは頑張れるのですか?
「いやいや。うわ~なんで頑張れるか…頑張っているっていうおもいもないけども」
では逆に、どうして頑張ってるって思いがわかないのでしょうか。
「それはやっぱりチームだからじゃないかなって思うんですよ。私がやれば『頑張ってるね』って言ってくださる先輩がいたりとか、一緒にまわりも頑張っているなって思うと自分も頑張ろうって思えるし。私、前友達と話した時に、その友達が留学に半年間言ってて、留学って私も1ヶ月行ったから分かるけど、行くこと自体は完全に自分のため、その経験が将来役立つかもしれないけど、で、そういう留学って本当に個人の考えとか思考とかをどれほど成長させられるかってものだと思うのだけど、私その1ヶ月の留学がそれほど楽しい、いや楽しかったけど、なんかもう1回行きたいかって言われるとそうでもなくて。その留学に行ってた友達と自分を比較した時に、私の場合は仲間と一緒にこれをやってて、とか、気仙沼チームでこれをやってて、っていうのがたくさんあって。その時に言われたんです。『チームでなにかやるっていいね』って。それが一番大きいのかなって思うんです。」
これまで気仙沼チーム以外で、チーム・集団での取り組みというものは経験されてますか。
「うーん。妹が2人いて、何か一緒にやるもそうだし、料理教室通って料理を作るもそうだし、誰がこれ切る?とか私が切りたい!とか(笑)。なのかなー。もうなんか小中高とずっと一貫校で、同じ友達が周りにいるから、いざこざとかもあるし、私も嫌な思いしたこともあるけど、その中でどう上手くやっていくか、っていうのは結構培われてきたのかなって思いますね。まあでも好きでしたね、そういうの。球技大会とかあると校門あくの待って学校行ったり、昼休みとかも一番に食べ終わって校庭の線ギリギリのとこで待ったりとか(笑)」
小学校の時に好きだった教科は?
「恥ずかしい(笑) 体育って言ってほしいの?(笑) でも本当そうだった。体育。何のために学校行ってるの?って言われると、みんなでドッチボールとか。小学校の時の面談で親が言われたらしいんですけど、裕子さんは休み時間5分前になると、もう腰がイスから浮いてますねって(笑) 担任の先生から言われたって親が愕然として帰ってきて(笑)」

国語の先生が本当に好きで…
では、好きなことは?
「ピアノは好きですね。良く弾きます。3歳から高3の秋まで、だから受験の直前までやってました。今は趣味、ですね。それこそ「アナと雪」とかずーっと聞いてたりすると、それワーって弾いたり、好きな曲弾いたり…あと楽譜見るのが好き! そうそう、今度チャイコフスキー聴きに行くんですよ、バイオリンコンチェルト!それとかも楽譜見て、「チャッチャー」とか見たり、あ~ここから入ってくるんだ、チェロここからなのか~とか見たり。とかかな~」
ちなみに、好きな異性のタイプは「俺様タイプ」ということですが。
「たとえば、私がイベントに向けて頑張ってて、本当なんか苦しいとか泣きながら家に帰るような日々の中でも、何も声かけてくれなかったのに、終わった瞬間に「お疲れ」とか言われると…わあ…みたいなあ…(笑)(笑)(笑)」
漫画とかの影響ですか?
「いや読まない読まない。たぶん、女子校出身だからなんですよね、妄想ですよね」
楽しかったですか、女子校時代。小学校、中学校、高校、いつが楽しかったですか?
「うーん、高校も楽しかったな~。普通に今が、大学が一番楽しいと思うけど、高校も楽しかった。学校の女の先生追いかけるとかして(笑)。女子校にいるとあるんですよ。ダンスの先生と~、うわ恥ずかしい~(笑)、国語の先生が本当に好きで…」
その方は女性の先生ですか?
「そう。教員室のドアの隙間から覗いて、今日いる!何色の服着てる!とかって(笑) でもダンスの先生とかは普段ジャージとかって感じだから、入学式とかっていうとめちゃめちゃおしゃれしてきて、先生に会いに行ったりとか。私の机の下には本当ラブレターですよね。手紙が残ってていくつも。受験の勉強とかして疲れると、「なんとか先生」みたいな。もうね気持ち悪いでしょ(笑) 今も6通7通残ってたりとか。
女性が女性に憧れちゃうみたいな、好き、みたいなことって女子校あるあるなんでしょうか?
「あ~でも私の周りにも何人かいた。いたけど~みんなにバカにされて、みんなで歌作ったり、もう恥ずかしいけどK先生っていて、もう「Kちゃん歌集」みたいな。なんか童謡を変えるんですよ。「大きな栗の木の下で」とかを「教員室の前で」みたいな(笑)もうみんなが作ってくれて! そんなことで、紛らわすの(笑) どこまで本気だったんだろうね、いやでもその時はほんとに本気だったと思う(笑)」
本当ですか?!
「いやもう、階段とかでばったり会いたいなとかもあったし。なんかお花渡したこともあったな。自分で作って最後の授業でみんなに手伝ってもらって渡したこともあったな~。「先生…!」って!」
そういう憧れの先生がいた、尊敬とも呼べそうですが、これまで尊敬できるひとにめぐまれたと思いますか?
「そうですね。友達には恵まれたなって思いますね。ちっちゃいころから習い事もやらしてもらったし」
逆に不満はありますか?
「もっと遊んでもよかったのかなって。本当、勉強とか、真面目という感じだったから。部活に本気で取り組んでたっていうの聞くと、うらやましいなぁって思う。バスケ部とか。小学校の時とか私立だと近所の友達とか本当できないから、家帰って妹とと遊ぶとか、じゃあ周りの友達と何か遊んだかっていうとそんなこともなかったし」
ここまで田中裕子さんと振り返ってみて、だからこそ、今、チームの仲間との取り組みをこんなに優しく熱い気持ちで頑張れているんだろうなと感じています。それでは長時間のインタビュー本当にありがとうございました。最後に田中裕子さんの今後のビジョンをお聞かせください。

母親のような気持ちになっていて、今
「3年になって急に自分が先輩になったなっていう感覚がうまれてしまって、べつに今まではそんなことなかったんだけど、4年生がいなくなったのも大きいのかなって思うんだけど。このボランティアでいろんなことを学んだし、いい仲間も持てたし、なのでそれをもっと後輩とかほかの仲間とか、震災復興とか関わっていないひとにも、それを伝えたいっていうか、それを経験してほしいという気持ちが芽生えています。なんか母親のような気持ちになっていて、今(笑)。気仙沼にいくのはもちろんなんだけど、東京でも、自分ももっと成長したいし、なんか勉強していきたいなって。学科での専門的な研究はもちろんだし、東北のこととか、ほかにも社会問題とか、なかなかみんなはみてないけどあって、そういうのに積極的に関心持ってみていきたいなって。実践と理論なんですよね、これまで1年半いろいろ実践をやらせてもらって楽しかったけど、じゃあ会議をうまく進めるにはどうしたらいいんだろうとか、東北では震災直後、あらためて何があったんだろうとか。もうすこし理論の部分を再度勉強して、知って、周りにも伝えていきたいなって思います。チームでは、今のこのメンバーと一緒に、仲間を大事にして一緒に何かをしたい、というそれだけの想いというか、自分自身がこれやったら楽しいんじゃないかな、っていうのを忘れずに、そしてその時に、もちろん東北を上手く絡めて、被災地域のためになれればな、って思っています。なんかまじめですよね、おもしろくなくてすみません(笑)
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category: インタビュー
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